1. はじめに
「スマートグラスはなぜ普及しないのか」と問われたら、多くの技術者はこう答えるでしょう。「ゴーグルのように大きく、重く、普通のメガネとはほど遠い見た目だから」と。
実際、現在市場に出回っているAR(拡張現実)デバイスの多くは、バイザー型やゴーグル型で、日常使いには抵抗感があります。しかし近年、その常識を覆す技術として注目を集めているのが、光学導波路(Optical Waveguide)を使ったディスプレイ技術です。
光学導波路とは、光をガラスや特殊なプラスチックの薄い板の中に閉じ込め、目的の場所まで運ぶ「光の廊下」のような仕組みです。この技術を活用すれば、普通のメガネのような薄いレンズの中に映像を表示できるようになります。かつてSFの世界でしか見られなかった「見た目は普通のメガネなのに情報が表示される」というデバイスが、特許技術の積み重ねによって現実のものとなりつつあります。
本記事では、光学導波路ディスプレイの仕組みから最新の特許技術、そして私たちの生活を変える応用分野まで、わかりやすく解説していきます。
2. 「光の廊下」で映像を届ける仕組み
2-1. 光を「閉じ込めて運ぶ」全反射の原理
光は本来、まっすぐ進む性質を持っています。しかし、ガラスや特殊なプラスチックの中では「全反射(Total Internal Reflection)」という現象によって、光を材料の内部に閉じ込めたまま運ぶことができます。
わかりやすいたとえで言えば、プールの底から水面を見上げると、ある角度を超えると水面が鏡のように光を反射して、外の景色が見えなくなります。これが全反射です。AR導波路ディスプレイでは、この原理を利用して光をレンズの中で何度も跳ね返しながら目の方向へ導きます。
具体的には、まずプロジェクターやマイクロディスプレイから出た映像光を「入力格子(In-coupler)」と呼ばれる構造でレンズ内部に取り込みます。その後、光はレンズ内部をジグザグに反射しながら進み、最終的に「出力格子(Out-coupler)」から目に届く仕組みです。この一連の流れが、「光の廊下」のイメージです。
2-2. 映像を「広げる」出射瞳拡大技術
導波路ディスプレイで特に難しいのが、「小さな映像を目全体に届ける」という課題です。プロジェクターから出た光は非常に小さい点に集中していますが、人間の目はある程度の範囲(アイボックス)のどこから見ても映像が見える必要があります。
この課題を解決するのが出射瞳拡大(Exit Pupil Expansion)という技術です。導波路の内部に特殊な回折格子を設けることで、光を縦方向と横方向に少しずつ広げながら目の方向へ導きます。格子の角度・間隔・深さを精密に設計することで、視野角とアイボックスのバランスを最適化することが可能になります。

2-3. 二つの方式:幾何光学式と回折格子式
現在、導波路ディスプレイには主に二つの方式があります。
一つは幾何光学式(Geometric Waveguide)で、鏡のような部分反射面を使って光を導きます。製造が比較的容易で光損失も少ない一方、大きな視野角を得ることが難しいという課題があります。
もう一つは回折格子式(Diffractive Waveguide)で、ナノスケールの格子パターンで光を回折・誘導します。Microsoft HoloLensやMagic Leapが採用しているのはこの方式で、薄型化と広視野角の両立が期待できます。2025年現在、多くの最先端特許がこの回折格子式のさらなる改良に集中しています。
3. 特許から見る技術革新
3-1. US10437064B2 ── 屈折率の「グラデーション」で曲面レンズを実現(DigiLens, 2019年)
DigiLens社が取得したこの特許(US10437064B2)は、GRIN(屈折率勾配型)光学導波路に関するものです。
通常の導波路は平板のガラスに限定されていましたが、この特許では材料内部の屈折率を連続的に変化させることで、曲面レンズにも導波路を形成できるようにしました。これにより、従来の眼鏡レンズのようにカーブした形状にARディスプレイ機能を統合することが可能になります。
特に注目すべきなのは「表面に接触する光学素子が不要」という設計思想です。従来技術では入出力格子がレンズ表面に直接貼り付けられていましたが、この特許では内部の屈折率分布だけで光を制御します。「普通のメガネに見える」という日常使いの目標に、大きく近づいた発明と言えるでしょう。
3-2. WO2017060665A1 ── 1枚のレンズで縦横に光を広げる格子設計
この国際特許(WO2017060665A1)は、K-ベクトル格子(Rolled K-vector gratings)を用いた導波路ディスプレイに関するものです。
通常、出射瞳を縦方向と横方向の両方に広げるには、それぞれ専用の格子層が必要で、導波路が複数枚重なってレンズが厚くなってしまいます。この特許では、1枚のスラブ(平板)の中に「傾きを持った格子ベクトル」を配置することで、縦横両方向への光の拡大を1層だけで実現しています。
1枚の鏡で複数の方向に光を反射させるような設計、と言えばイメージしやすいでしょうか。レンズの層数が減れば製品は薄くなり、光のロスも減ります。スマートグラスの軽量化・薄型化を実現する上で、非常に重要な特許です。

3-3. US11852813B2 ── 処方レンズとARを一枚に統合(NVIDIA, 2023年)
NVIDIA社が2023年に取得したこの特許(US11852813B2)は、視力矯正用の処方レンズとARディスプレイを一枚のレンズに統合する技術です。
これまでのAR導波路グラスは、近視や遠視がある人が使う場合、別途コンタクトレンズを装用するか、専用アダプターが必要でした。この特許では、導波路の光学設計の中に処方度数の補正機能を組み込むことで、眼鏡が必要な方でも追加デバイスなしにARグラスを使えるようにしています。
公開されているスペックによると、アイボックス約4mm、視野角20°×40°、重量79〜164gです。世界人口の約半数が何らかの視力矯正を必要とすると言われており、この特許はAR市場の裾野を大きく広げる可能性を秘めています。
4. 応用分野・実用化の最前線
4-1. 産業現場での「ハンズフリー作業支援」
光学導波路ARグラスが最も早く実用化されているのは、工場や建設現場などの産業分野です。作業員がメガネをかけるだけで、組み立て手順・配管図・機械の異常箇所などをリアルタイムで視野に重ねて表示できます。
従来のタブレットやスマートフォンを使った作業では「情報を確認するたびに手が止まる」という問題がありました。ARグラスなら視野に情報が重なって見えるため、両手を使いながら作業を継続できます。航空機エンジンの整備や電気設備の保守など、複雑な手順が必要な現場での採用が特に加速しています。
4-2. 医療現場での「術野情報重畳」
外科手術への応用も大きな注目を集めています。執刀医が手術中にARグラスをかけることで、CTスキャンや超音波の画像をリアルタイムで患部に重ね合わせて表示する「術野情報重畳(Surgical Navigation)」が可能になります。
光学導波路の薄さと透明性により、医師は自然な視野を保ちながら追加の情報を得られます。これは、従来の手術ナビゲーションシステムで使われていたモニター型表示よりも、より直感的な操作を可能にします。2024年には複数の大学病院で試験的な導入が報告されており、手術精度の向上と時間短縮への効果が期待されています。

4-3. コンシューマー市場と急拡大する市場規模
コンシューマー向けのスマートグラス市場も急速に拡大しています。ARスマートグラス市場は2024年時点で約150億USDと推定されており、2030年には約376億USDに達するとの予測もあります。
Meta、Apple、Samsung、Googleといったテクノロジー大手が相次いでAR光学系の特許を取得・投資しており、2025年〜2026年にかけて複数の一般向け製品が市場に投入されると見込まれています。スマートフォンに代わる次の「情報インターフェース」として、光学導波路技術がその中核を担う日は近いかもしれません。
5. 課題と展望
5-1. 「小さな窓」の壁 ── 視野角と光効率の問題
現在の導波路ARグラスが抱える最大の課題は、視野角(Field of View, FoV)の狭さです。人間の自然な視野は水平方向で約200°ありますが、現在の製品では20〜50°程度にとどまっています。視野が狭いと「小さな窓の向こうに映像が見える」ような感覚になり、没入感が大きく損なわれます。
また、導波路を通過するたびに光が減衰するため、明るい屋外での視認性が低下する「光効率問題」も重要な課題です。2025年にNature Light: Science & Applicationsに掲載された研究では、ナノスケールのメタサーフェス構造を格子に用いることで、光効率を大幅に向上できると報告されており、解決に向けた研究が着実に進んでいます。
5-2. 色がにじむ「色収差」と製造コストの課題
回折格子を使う方式では、光の波長(色)によって回折する角度が異なるため、色収差(Chromatic Aberration)が生じやすいという問題があります。白い文字の端が虹色ににじんで見えるような現象です。これを補正するためには複数の格子層を重ねる必要があり、製造コストと重量が増加するというジレンマがあります。
2024年にScientific Reports誌に掲載された研究では、二層構造のDOE(回折光学素子)を用いることで色収差を大幅に低減する手法が提案されており、量産レベルへの応用が期待されています。
5-3. 「ファッションアイテム」への道
技術的な課題と同じくらい重要なのが、デザインと社会的受容性の問題です。いくら高性能でも、見た目が「普通のメガネ」でなければ日常使いには浸透しません。
2025年にNature Communications Engineering誌に発表された研究では、液体光学材料(シリコンオイル)を用いた導波路が報告されました。液体材料は形を自由に変えられるため、レンズの曲率に合わせた導波路設計が可能になります。

これは「普通の眼鏡型ARグラス」の実現に向けた重要な一歩と評価されています。特許技術と材料科学が融合することで、ファッションアイテムとしても成立するARグラスが登場する日は、そう遠くないでしょう。
あわせて読みたい
光の廊下として映像を届けるARグラスのレンズ、そして電気信号で透明度を自在に変えるスマートガラス。どちらも「ガラスの新しい可能性」を追求する技術です。

6. まとめ
光学導波路ディスプレイは、「普通のメガネでARを使う」という長年の夢を現実に近づける技術です。全反射の物理法則を起点に、GRIN導波路(US10437064B2)、K-ベクトル格子(WO2017060665A1)、処方レンズ一体化(US11852813B2)といった特許技術の積み重ねが、今日のスマートグラス開発を支えています。
視野角・色収差・製造コストといった課題はまだ残りますが、メタサーフェス技術や液体光学材料など、材料科学との融合によって着実に乗り越えられつつあります。産業・医療からコンシューマーまで、その応用範囲は非常に広く、2030年に向けて市場は急拡大することが予測されています。
スマートグラスが「次のスマートフォン」になる日、私たちは「光の廊下」を目の前に持つことになるでしょう。特許の世界に刻まれた技術の軌跡は、その未来をすでに指し示しています。
関連アイテム
『図解まるわかり VR・AR・MRのしくみ』
本記事で解説したARグラスのレンズ技術やディスプレイの仕組みを、より広い視点で学びたい方におすすめの一冊です。VR・AR・MRそれぞれの違いや、ARデバイスに組み込まれたレンズ・光学技術の進化、そして製造・医療・エンタメなど各業界での実用例まで、わかりやすく解説されています。
参考文献
関連特許
- US10437064B2 – DigiLens, Inc.「Holographic waveguide apparatus」(2019) https://patents.google.com/patent/US10437064B2/en
- WO2017060665A1 –「Waveguide display」(2017) https://patents.google.com/patent/WO2017060665A1/en
- US11852813B2 – NVIDIA Corporation「Prescription augmented reality display」(2023) https://patents.google.com/patent/US11852813B2/en
- US11927758B1 –「Near-eye display systems」(2024) https://patents.google.com/patent/US11927758B1/en
参考文献
- Guo, J. et al.「Waveguide holography for 3D augmented reality glasses」Nature Communications (2023) https://www.nature.com/articles/s41467-023-44032-1
- Liu, S. et al.「Waveguide-based augmented reality displays: perspectives and challenges」eLight / Springer (2023) https://link.springer.com/article/10.1186/s43593-023-00057-z
- Chen, W. et al.「An achromatic metasurface waveguide for augmented reality displays」Nature Light: Science & Applications (2025) https://www.nature.com/articles/s41377-025-01761-w
- Matsuda, N. et al.「Holographic near-eye displays based on overlap-add stereograms」Nature (2024) https://www.nature.com/articles/s41586-024-07386-0
- Sun, D. et al.「Liquid optical waveguide for AR near-eye display」Nature Communications Engineering (2025) https://www.nature.com/articles/s44172-025-00469-4
- Kim, J. et al.「Double-layer DOE for chromatic aberration correction in waveguide AR」Scientific Reports (2024) https://www.nature.com/articles/s41598-024-75766-7
※ 記事は公開されている特許情報および学術研究をもとに作成しています。図版は各出典元から引用しています。


コメント